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最高裁判所第一小法廷 昭和30年(オ)899号 判決 1957年4月11日

上告人 牧一夫

外山ミチ子こと

被上告人 牧ミチ子

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

所論のごとく、別件訴訟において、被上告人と上告人との離婚届出無効の確定判決があり、また被上告人と訴外外山辰夫との離婚取消の確定判決があつたからといつて、それとは別に、当事者間に婚姻を継続しがたい重大な事由のあることを理由として本訴請求をすることは何ら妨げられるものでないことは原判示のとおりである。そして原審の認定した事実関係の下においては、婚姻を継続しがたい重大な事由のあることを認めることができる。論旨は、結局原審の証拠の取捨、事実の認定を非難し、これを前提として違憲、違法をいうのであるが、原審の事実認定は、その挙示の証拠により当審においてもこれを是認できる。それ故所論は採るを得ない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 入江俊郎 裁判官 真野毅 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 下飯坂潤夫)

○昭和三〇年(オ)第八九九号

〔上告人〕 牧一夫

牧三千子こと

〔被上告人〕 外山ミチ子

上告人の上告理由

原判決は日本国憲法第十三条及び民法第七百三十二条並びに刑法第百八十四条且又児童福祉法第一条に各々違反している。

(一) 憲法第十三条

すべて国民は個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については公共の福祉に反しない限り立法その他国政の上で最大の尊重を必要とする。

(二) 民法第七百三十二条

配偶者のある者は重ねて婚姻をすることができない。

(三) 刑法第百八十四条

配偶者ある者重ねて婚姻を為したるときは二年以下の懲役に処す。

(四) 児童福祉法第一条

すべて国民は児童が心身ともに健やかに生まれ且つ育成されるように努めなければならない。

すべて児童はひとしくその生活を保障され愛護されなければならない。

とされている。

上告人と被上告人とが昭和十八年三月十日婚姻しその間に昭和十九年四月十六日長男健一郎を儲けている夫婦であり上告人は結婚後僅か一年一ヶ月にして帝国海軍として今次大東亜戦争に応召千古不抜絶対不敗をほこれる我が帝国が惨たんたる戦敗国として有史以来汚恥を受けその復員者として心身共に虚脱空白の状態にあり従つて上告人は著しくヂレンマに陥り斯る境涯にあつて家業等に専念するの意思を喪失し為す術もなく徒食したことは事実であるが被上告人主張の如き盗癖等不遜なる行動を為したる事実なく前記の境地に於て昭和二十二年十二月中夜半電柱によぢ登り負傷し之に基因して身体障害者となり性交不能の状態

(昭和二十二年十二月受傷当時より約半年間性生活不能なりしも爾後満足に遂行される)

に立至るに及ぶや被上告人は上告人を嫌い長男を遺棄して実家に復帰したるこれらの原由を以て民法第七百七十条第五号によるいわゆる婚姻を継続し難い重大なる事由ありとし且被上告人が現在に於て訴外外山辰夫と同棲し夫婦生活を営みいる事実とを綜合して前同様の事由を以て之を認容し上告人と被上告人との離婚を命ずるの判定を下しているのであるが

上告人は之より先すなわち本件原判決前被上告人を相手方とする離婚届出無効確認並に同居請求訴訟に於て被上告人は上告人と同居すべき義務を命ずの勝訴の確定判決並びに被上告人と訴外外山辰夫との婚姻は無効とする確定判決を孰れも有しているので結局被上告人の妻として復帰したるものなるところ

現実裁判所が一方においては上告人の配偶者として被上告人に対し同居義務を宣し本件に於ては被上告人の主張を認容して離婚すべきを命ずる判定を下しているのであるが翻つて論ずるに請求並に訴因を変更して同一当事者が係争した結果に於て斯る二側の判定が為さるとせば夫婦生活の観点により憲法上に認められたる自由及幸福追求権はその当事者の過去及現在の環境、経緯、行状等によつてのみ支配左右さるる結果となり斯る判断により為されたる原判決は上告人の憲法第十三条による自由、幸福の追求権を剥奪し上告人は身体障害者であり殊に初婚にして被上告人との間に長男を儲けているものであり被上告人に於ては上告人が復員後の虚脱空白時の境涯を顧みず身体障害者であつて性交不能者であつたが故を以て愛児をも遺棄し然かも他の男性と重婚しているものであつてたとい今日幸福なる生活を営むと雖も一方的の自由及び幸福の追求であつて原判決が民法第七百七十条第五号により婚姻を継続し難い重大なる事由と認容判断したるは当を得ないものであり原判決は明かに憲法第十三条に違背するものであり被上告人の重婚を認容裏付くるものであつて一方的に幸福追求権を擁護せんとする判定であると謂うべく初婚たる上告人の間に儲けたる長男健一郎の健全明朗な育成は著しく痛みつけらるる結果を招来すべく斯る理由によつて原判決は明かに憲法第十三条並に上告人が上告理由とする前掲法令等の違反である。 以上

(第一審 宮崎地裁都城支部 昭和二八(タ)四号 昭和二九・八・四判決 原告 外山ミチ子 被告 牧一夫)

主文

原告と被告を離婚する。

被告は原告に対し金八万円を支払わなければならない。

原告のその余の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、原告と被告を離婚する、被告は原告に対し金十万円を支払え、訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、その請求原因として、一、原告は昭和十八年三月十日十七歳で被告と婚姻し、翌十九年四月十六日長男健一郎を儲けた。被告は同年七月頃海軍に召集され同二十年八月末頃終戦により復員した。その後原告は被告と同棲して家業に励んで来た。二、けれども原告は被告との婚姻を継続し難い重大な事由がある。すなはち(イ)被告は生来の怠け者で、いつも馬鹿話をしながら隣近所を歩き廻り、家業をかえりみない。父新九郎からいつも意見されるけれども更に効目がなく改まる見込がない。父新九郎は田畑一町八反位を耕作するほか、精米所を経営し実直な働き手であつて、さらにめん類の製造も始める考えで機械類を取揃えていたのであるが、被告が怠け者であるためこれを始めることができず機械も売払つてしまつた。こんな有様で父との折合が悪いばかりでなく、近所に居住している被告の妹夫妻とも仲が悪く家庭に風波が絶えない。(ロ)被告は昭和二十二年十二月頃電線を盗むため電柱に登つて落ち、そのため足を折り脊髄に故障を生じ性的不具者になつた。(ハ)原告は被告を相手として離婚の調停申立をした。父新九郎は怠け者の被告に愛想をつかし裁判沙汰などにせず円満に離婚することに賛成していたのであるが、被告の煮え切らない態度のため調停は成立しないままになつていた。ところが父新九郎が昭和二十四年七月二十四日頃原告の実家に来て、被告の署名捺印ある協議離婚届を出して原告の署名捺印を求めたので、原告は父新九郎が被告を説得したものと信じてその届書に署名捺印して渡し、離婚届がなされた。ところが被告は右の協議離婚届は被告の父新九郎が勝手に作成したもので無効であるとの理由で、原告を相手をとして離婚届出無効確認並同居請求訴訟を提起した。この訴訟はのちに被告の勝訴となつて確定した。けれども原告は被告との離婚が有効に成立したものと信じて昭和二十六年十一月十五日訴外外山辰夫と婚姻し、すでに長男孝一郎を儲けている。(ニ)被告は原告との結婚前某女と通じ子まであつた。(ホ)被告は昭和二十八年四月二十三日原告と訴外、外山辰夫に対し、婚姻取消慰藉料請求訴訟を提起したが、その訴状中に、原告が同二十三年八月十三日訴外山崎利光と密会中を被告の父に発見されたとの記載がある。これは妻に対する重大な侮辱である。三、原告は昭和十八年三月十日被告と婚姻し同二十三年八月下旬実家に帰るまで、営々として被告の家業に励んでいたが前記のような事由で婚姻を継続することができなくなつたため精神的苦痛はまことに堪え難いものがあるので被告に対し慰藉料として金十万円を請求する、と述べ、被告の主張を否認し、立証として甲第一号証の一、二を提出し、証人小野兼利、同内山甚次郎、同間東熊並に原告本人の尋問を求めた。

被告は請求棄却の判決を求め、答弁として原告主張の請求原因中原告が昭和十八年三月十七日十七歳で被告と婚姻し翌十九年四月十六日長男健一郎を儲けたこと、被告が同年七月頃海軍に召集され同二十年八月末頃終戦により復員したこと、被告が昭和二十二年十二月十七日電柱から落ちて怪我をしたことを認め、その余の事実をすべて否認し、被告は右負傷により性的不能に陥つたが、翌二十三年二月以降その機能障碍は消失している、と述べ、本訴はすでに確定判決を受けた離婚届出無効の事実を争うものであり、又別件婚姻取消慰藉料請求訴訟事件の反訴とみなさるべきもので、原告の本訴主張は理由のないものであると附け加え、立証として証人山崎利光、同岩永三之助の訊問を求め、甲第一号証の一、二の成立を認めた。

理由

原告が昭和十八年三月十日十七歳で被告と婚姻し、翌十九年四月十六日長男健一郎を儲けたこと、被告が同年七月頃海軍に召集され同二十年八月末頃終戦により復員したこと、被告が同二十二年十二月十七日電柱から落ちて負傷したこと、その負傷のため同二十三年一月末まで性的不具者となつていたことは、いずれも当事者間に争がない。

証人小野兼利、同内山甚次郎、同間東熊の証言、原告本人の供述を考え合せると、被告は昭和二十年八月末頃復員してから後は仕事もせず朝御飯を食べると遊びに出て行つて夕方帰ると言つた風で、父新九郎からは毎晩のように意見されていたが、一向に改める様子がないこと、父新九郎は被告が一人息子であるけれども、怠け者で仕事もしないで楽しみがないとこぼしており、被告が後記のように電柱から落ちて怪我をし四ヶ月位入院したときも「よい天罰じや」といつて見舞つたこともなかつたこと、被告の妹夫婦は、もと同じ屋敷内に住んでいたが、被告との仲が悪く、そのため同人らは別居してしまつたこと、被告は盗癖があり、前記のように夜中の二時頃電柱から落ちて怪我したこと、原告は婚姻以来家業に精出して来たけれども、被告が前記のように怠け者で改める様子もなく、その上盗癖があつて家庭に風波が絶えないので、将来の希望を失い、度々実家に帰つたのであるが、子供のことを考えたり、又最初の内は父新九郎もなだめていたし、被告も原告が帰つたらまじめに働くというので、その都度戻つていたのであるが、被告はその後も一向改める様子もないので、遂に昭和二十三年八月下旬実家に帰つてしまつたこと、原告は実家に帰つた後、被告に対し離婚の調停申立をしたが、被告の反対で成立するに至らなかつた。その後昭和二十四年七月二十六日被告との離婚届がなされたので、同二十六年十一月十五日訴外、外山辰夫と婚姻し、その間に長男孝一郎(昭和二十六年十月三十一日生)を儲けていることを認めることができる。被告は、原告が実家に帰つたのは原告主張のような理由によるものではなく原告が訴外山崎利光と密通の現場を父新九郎に発見されたため、居づらくなつて帰つたものであると主張(被告提出の各証人訊問事項)するもののようであるけれども、証人山崎利光、同岩永三之助の尋問の結果によるも、そのような事実を認めることはできない。そのほか前認定に反する証拠はない。

およそ夫婦は互に協力して婚姻を維持しなければならないのに、被告は子があるにもかかわらず、怠け者であつて家業をかえりみず、父新九郎から毎晩のように意見されても一向に改める模様もなく、従つて父や妹夫婦とも折合が悪くて家庭に風波の絶えまがない、その上盗癖があつて、夜中の二時頃電柱から落ちて怪我をし、そのため性的不具者になつたこともある始末であつて、原告が被告との夫婦生活に希望を失い実家に帰るに至つたとこは、まことに無理からぬことであつて、右のような事由は民法第七七〇条にいう「婚姻を継続し難い重大な事由」に当ることが明かである。

もつとも、職権により調査すると別件当庁昭和二十八年(タ)第二号婚姻取消慰藉料請求訴訟事件記録中、甲第二号証の一、二(原被告間の離婚届出無効確認同居請求訴訟事件の第一、二審判決)によれば、原被告間の昭和二十四年七月二十六日付離婚届に対し被告から離婚届出無効確認同居請求訴訟が提起され、同二十七年十一月二十三日被告勝訴の判決が確定していることが認められるけれども、右判決は離婚届が被告の真意に出たものでないことを理由としてその無効を確認したものであつて、本件離婚原因の有無とは別個の問題である。ことに右訴訟が提起されたのは離婚届一年半位後のことであつて、その頃には原告は訴外外山辰夫との間に長男孝一郎(昭和二十六年十月三十一日生)を懐胎していたものと認められるから、原告が離婚届無効確認等訴訟が提起された後に右訴外人と婚姻したということにはならない。

右のような次第であるから、原告の被告に対する離婚の請求は、その余の点について判断するまでもなく相当と認められる。

次に慰藉料の点について考えて見ると、前掲各証拠によれば、原告は昭和十八年三月十日十七歳のとき被告と初婚で結婚しその間に長男健一郎を儲け、以来約五年半の間、被告家の家業に精励して来たけれども、前記認定のように婚姻を継続し難い重大な事由のため同二十三年八月頃実家に帰つたものであることが認められこれによつて原告が甚大な精神的苦痛を蒙つたことは想像に難くないところであるから、被告はこれが慰藉の義務あるものといわなければならない。

よつてその数額について考えると、原告は高等小学校後、有徳裁縫学校で一年制の和裁の修習をなした者であつて、原告の実家は農業を営み、田七反六畝、畑一町二反五畝、山林七・八畝位のほか宅地二反、住宅二棟、二階建厩舎一棟、物置等約七十坪の建物を有し部落で中以上の暮しをしているものであること、被告は松田農場で修練したことがあり、被告家は農家で製材所や精米所も経営しており居町では中以上の生活をしているものであること、を認めることができる。これらの事実と前記認定の事実その他弁論の全趣旨を考え合せ、原告が被告から受くべき慰藉料は金八万円を以て相当と認める。

それで原告の本訴請求は右の範囲においてこれを相当として認容し、その余は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負拠につき民事訴訟法第八九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 井上藤市)

(第二審 福岡高裁宮崎支部昭和二九(ネ)九二号 昭和三〇・八・一〇判決 控訴人 牧一夫 被控訴人 外山ミチ子)

主文

原判決を左の如く変更する。

被控訴人と控訴人とを離婚する。

控訴人は被控訴人に対し金五万円を支払へ。

被控訴人の其の余の請求は之を棄却する。

訴訟費用は第一、二審共之を三分し其の一を被控訴人の負担として其の余を控訴人の負担とする。

事実

控訴人は原判決を取消す被控訴人の請求を棄却する訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とするとの判決を求め被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方主張の事実関係並証拠の提出認否援用は当審に於て控訴人が乙第一乃至第八号証を提出し証人山口義雄恒吉豊牧健一郎の各訊問を求め被控訴代理人が乙第一乃至第八号証の成立を認めた外原判決事実摘示と同一だから之を茲に引用する。

理由

被控訴人(大正十五年二月十九日生)と控訴人(大正六年七月十八日生)とは昭和十八年三月十日婚姻し其の間に昭和十九年四月十六日長男健一郎を儲けている夫婦である事実は乙第一号証戸籍謄本に依り明白である。

乙第七、第八号証と原審証人小野兼利間東熊山崎利光当審証人山口義雄恒吉豊の各証言とを綜合し尚原審当事者訊問に於ける被控訴人の陳述を参酌して考ふるときは控訴人は昭和二十年八月末頃復員した者であるが復員後は家業を捨てて顧みず父新九郎から屡々意見されても一向改むる模様もなく其の為家庭内の風波絶ゆることなく其の上控訴人には盗癖があつて昭和二十二年十二月中夜半二時頃電線を窃取せんとして電柱によぢ登り墜落して負傷し其の為第十二胸椎第一腰椎圧迫骨折及圧迫性背髄炎二級の身体障害者となり爾来性交不能に陥り現在尚身体障害者であるのみならず昭和二十三年八月中には其の事なかりしに拘らず被控訴人が訴外山崎利光と姦通した旨の虚構の事実を流布した斯様な関係から被控訴人は同年同月末控訴人との婚姻を持続しがたいとして実家に復帰した事実を肯認し得べく右認定に抵触する原審証人岩永三之助内山甚次郎当審証人山口義雄恒吉豊の各証言部分は当裁判所の信用しないところで其の他には右認定を左右するに足る証拠は存在しないから叙上認定の事実は婚姻を継続し難い重大な事由に該当するものと謂ふに妨げなかるべくしかのみならず前掲被控訴人に有利な証拠と乙第二号証戸籍謄本とに徴すれば被控訴人が前示の如く昭和二十三年八月末頃実家に復帰した後昭和二十四年七月二十四日頃控訴人の父新九郎が控訴人の署名捺印ある協議離婚届を持参し被控訴人の署名捺印を求めたので被控訴人は勿論控訴人も承諾の上と信じ之に署名捺印し離婚届がなされたので昭和二十六年中訴外外山辰夫と事実上婚姻し同人と同棲し其の間に昭和二十六年十月三十一日長男孝一郎を儲けたので同年十一月十五日に至り正式婚し次で昭和二十九年九月五日長女恵子を挙げたが是より先控訴人から前掲離婚届出は控訴人の意思に基くものでないとの理由で被控訴人を相手方として離婚届出無効確認並同居請求訴訟が又被控訟人及訴外外山辰夫を相手方として婚姻取消慰藉料請求訴訟が提起せられ居り孰れも控訴人勝訴の判決が確定した為前示離婚並婚姻は取消され戸簿面だけは被控訴人が控訴人の妻として復帰したけれども被控訴人は依然訴外外山辰夫と同棲し事実上円満な夫婦生活を営んでいる事実が認めうるから旁以て本件当事者の婚姻は継続し難い重大な事由あるものと謂はなければならない尤も控訴人が主張するやうな離婚届出無効及婚姻取消の確定判決の存することは前示の通りであるけれど本訴とは全く別個の訴訟であるから被控訴人が本訴請求をなすに付何等の妨げとなるものではない従つて被控訴人の本訴離婚の請求の認容せらるべきは勿論である。

進んで被控訴人主張の慰藉料額に付案ずるに前掲証拠に依れば被控訴人は初婚であり高等小学校卒業後有徳裁縫学校で一年制の和裁の修習をなした者であり其の実家は農業を営み部落では中以上の生活をなし居り控訴人は松田農場で修練したことがあり其の実家は農業で製材所や精米所も経営し之れ亦居町では中以上の生活をしているけれども乙第一及乙第二号証により認め得る如く控訴人としては何等資産を有していないのに被控訴人との間に儲けた長男健一郎は控訴人が養育している事実が認め得らるると前段認定の事実関係特に控訴人が身体障害者であることを彼是斟酌して考ふるとき控訴人が被控訴人に対し支払ふべき慰藉料は金五万円を以て必要にして十分であると認定すべきである。

仍て控訴人の本件控訴は一部理由があるから原判決は之を変更すべきものと認め訴訟費用の負担に付民事訴訟法第九十六条第八十九条第九十二条を適用し主文の如く判決する。

(裁判長裁判官 甲斐寿雄 裁判官 二見虎雄 裁判官 長友文士)

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